五十嵐 丈
JOE IGARASHI / PHOTOGRAPHER

1993年、鶴岡市関川生まれ。大学進学で一度地域を離れ、卒業後は銀行勤務を経験。 その後、自然体験プログラムや、しな織・しなの花を活用した地域事業に携わる。 現在はそれらのプロジェクトを離れ、写真家として活動しながら、 生まれ育った集落で、暮らしそのものを起点にしたニショイを始めている。
Timeline
- 1993 山形県鶴岡市関川に生まれる
- 2012 大学進学を機に、一度地域を離れる
- 2013 在学中から、しな織祭りの手伝いで関川に帰るようになる
- 2015 大学4年。地域おこし協力隊の人たちと一緒に、地域の活動に携わる(給与は補助金)
- 2016 卒業。補助金による給与が終わったのを機に、地域の銀行に勤める。この頃から、集落の写真を撮りはじめる(集落の遺影)
- 2017 銀行を離れ、自然体験や、シナノキの花を使ったコスメの地域事業に携わる
- 2026 生まれ育った関川で、暮らしを起点にニショイを始める
ここまでの道のり
いま考えていることはニショイについてにまとめました。 ここでは、その手前にある、個人的な道のりを。
「何のために生きるのか」
中学生の頃、部活に挫折したのをきっかけに、「自分は何のために生きるのか」を考えた時期がありました。明確な答えは、正直いまも出ていません。ただ、少なくとも今の自分があるのは、家族と、自分の家の子供のようにかわいがってくれた近所の人たちのおかげだと思っています。この地域に恩返しがしたい。それが、すべての原点です。
帰ってきただけで偉い
大学生になってからは、しな織祭りを手伝いに関川へ帰るようになりました。「お前は帰ってきただけで偉い」。そう言って迎えてくれる地域です。ここに何かを返すことは、誰かのためであると同時に、自分自身の生きる目的にもなる。そう考えるようになりました。
お金の流れを知る
地元に帰るには、まず生活の基盤が要ります。大学4年の頃は、地域おこし協力隊の人たちと一緒に、地域の活動に携わっていました。給与は補助金でまかなわれていて、その補助金がなくなったタイミングで、地域の銀行に就職しました。「まずはお金の流れを知るのがいいだろう」という思いもありました。
山間部がなくなる構造
銀行の仕事には、面白い部分もたくさんありました。けれど、街でお金を稼ぐ仕組みがある一方で、山にはお金が返ってこない。これは山間部がなくなっていく構造そのものであり、自分もそれに加担している。そう気づいて、一年ほどで退職しました。山にあるものから売上をつくらなければ、集落は続いていかない。それが、このとき見えたことです。ちょうど同じ頃から、いつか無くなるかもしれない集落の姿を、写真に撮りはじめました。
暮らしそのものを組み替える
その後は、自然体験の仕事や、シナノキに咲く花を使ったコスメの製造販売に携わりました。生活はできていましたが、肝心の「暮らしの時間」を大切にすることが、なかなかできませんでした。だからいまは、ライフスタイルそのものを組み替えて、暮らしを起点に新しい形を試す。ニショイの活動に軸足を移しています。
この続きは、ニショイの活動そのものです。
家族
いまは、この家族で暮らしています。
- オット
- 五十嵐 丈
- ツマ
- 五十嵐 颯稀さつき
- チョウナン
- 五十嵐 旦旦たんたん / 保護猫 2024年の元旦、妻の実家に帰省した初日の出の朝、ひとりで歩いていたところを保護しました。
- ジナン
- 五十嵐 菅菅かんかん / 保護猫 2025年10月ごろ、菅野代のトンネルのあたりに、ふらりと現れるようになりました。
- サンナン
- 五十嵐 希糸きいと 2026年5月に生まれました。